シナリオ:家督相続
- 1551年4月 家督相続
- シナリオ概説
- 開始直後に発生するイベント
- プレイ武将別解説
- 大名プレイ
- 織田信長
- 今川義元
- 武田晴信
- 長尾景虎
- 織田信勝
- 島津貴久
- 武将プレイ
- 宇喜多直家
- 固有国人衆
- コメント
1551年4月 家督相続
シナリオ概説
織田家は信長・信勝に分裂しており、他の地方も群雄割拠の状態にある。
創造初心者は、まずこのシナリオの織田家でプレイすると感覚が掴みやすいだろう。
戦国時代中期の有名武将たちの戦国伝が軒並み開始される。
開始直後に発生するイベント
- 織田家
- 織田家所属の武将:歴史イベント「尾張の大うつけ」
- 織田信長:戦国伝(大)「家中統一」
- 武田家
- 武田家所属の武将:歴史イベント「心を攻めるを上となす」
- 武田晴信:戦国伝(大)「信濃統一」
- 長尾家
- 長尾家所属の武将:歴史イベント「越後国主」
- 長尾景虎:戦国伝(大)「家中統一」
- 北条家
- 北条氏康:ムービー「氏康躍進」、戦国伝(大)「受け継がれしもの」
- 今川家
- 今川家所属の武将:歴史イベント「雪斎の策」
- 今川義元:戦国伝(武)「甲相駿三国同盟」
- 浦上家
- 宇喜多直家:歴史イベント「復讐鬼」、戦国伝(武)「復讐の狼煙」
- 毛利家
- 毛利家所属の武将:歴史イベント「毛利両川」
- 毛利元就:歴史イベント「嵐の予感」(1551年8月前後に発生)後に、戦国伝(大)「厳島の戦い」
プレイ武将別解説
大名プレイ
織田信長
★「おすすめ」ボタン対象武将
優秀な武将が多数揃い、豊富なイベントで戦国気分を存分に味わえる。
城も那古野ひとつから始まり、戦国伝をこなしていけば自然と勢力が増強される。
最初の月に斎藤家に信長で工作し、信用がたまり次第援軍を犬山城に呼び、末森城経由で犬山城へ出陣し斎藤家と協力して落としたらそのまま清洲城へ進軍すると、簡単に戦国伝を達成できる。
ゲームの流れをつかむチュートリアルとしては最適か。
- 清洲への本拠地移転は戦国伝「家中統一」のイベントのため、戦国伝を起こさなければ本拠は那古野のままとなる。
今川義元
圧倒的な国力と松平系を含めた優秀な家臣団を抱え、自分でプレイするなら天下に最も近い勢力。
スタート直後に戦国伝(武)「甲相駿三国同盟」が発生する。当主と雪斎を当てれば達成は容易。
今川家にとってこの同盟の本来の目的は織田ら尾張以西国に対抗するためだが、成立前に織田に攻め込んで成立前に滅亡させることも可能。
織田を滅亡させればそのまま京まで攻め上がれるだろう。ただし調子に乗って長野・北畠・斎藤あたりを飲み込むと合従連衡が発生する。
紀伊半島を横断して攻め入るなんて正気の沙汰ではなく、近江周りで攻めこむことになるため、
機内統一を目指すなら浅井・足利と同盟を組んで敵対同盟から外しておかないと大変なことになる。
武田晴信
配下は質量共に大変優秀で、他所では考えられないほど贅沢な使い方ができる。
おまけに初期で本城二つ、支城もたくさん、戦国伝でさらに容易に拡大できるとくれば天下は約束されたようなもの。
…と感じるが、それを持っても圧倒しなくなるほどに甲斐・信濃は山がちで作戦行動取りにくく
最初の飛躍まで時間がかかる。
戦国伝ありなら順当に村上・木曾を下した後、三国同盟が発生する。これを結べると難易度激減するため是非とも果たしたい。
戦国伝は西上作戦まで発生させる事が可能で、上野国に進出して山内上杉家を含め長野・沼田両家を倒しておきたい所。
次の駿河侵攻は1555年頃に太原雪斎が死去すれば立て続けに桶狭間イベントが起きて義元が死ぬ事により起こす事が出来る。
ただし、川中島の戦いにより上杉家と断絶し、駿河侵攻で婚姻同盟を破棄する影響で周囲の外交関係が悪化するのに注意。
また、中盤までは山間部ゆえに労力が確保しづらいので状況に余裕があれば夫役強化や寺社保護の政策を行っておきたい。
外交では駿河侵攻までに対上杉の牽制役や上洛を見据えていくつか同盟を結ぶ相手を作っておきたい所で、対上杉・織田・畿内進出に援軍を呼べる本願寺あたりがお勧め。
その後は順当に北を目指すか、いきなり西へ向かうか。(戦国伝なければ東もあり)
どれでも本拠確保できるくらいまで行けば、後は人材の質だけで押していけるだろう。
長尾景虎
S1ですべての戦国伝を目指す場合の解説
開幕内政は武田に贈り物+工作開始で軍備のほうは2部隊ほど坂戸に送り込ませよう
更に開幕のターンで富山城に2部隊送ろう。
上級だと坊主がたまに援軍に来るので最低3部隊は富山に送らないと包囲する分の兵が不足する場合がある。
北条討伐まで軍備を緩めないのがポイント、2ヶ月目で家中統一出来たら更に2ヶ月ほど使い富山を落とそう
その間政策は遠征軍、灌漑あたりをメインに8月まで石高上げ
武田と12もしくは24ヶ月同盟が出来るようになったら武田が長野を滅亡させる前に一気に関東に踊り出て
平井を抑えて義戦完了後北条討伐を進めよう。
上洛は武田にちょっかいさえ出さなければ川中島後にほぼ確実に発生するので北条討伐が出たらあとはじっくり関東を平定しよう。
織田信勝
以下は無印、若しくはPK版でのプレイであり、戦国立志伝で再現できるか未検証
とりあえず織田の家督を乗っ取るまでの一例を解説。
末森城のすぐ北の大草に国人衆がいる場合、ここに織田家は手を出せず安全に懐柔できるので
出現するまで粘った方が良いだろう。金も兵力も無い支城勢力にとっては、裏切らない国人衆は大切である。
清洲織田家はほとんど懐柔してこないので、70を超えたら放置しても大丈夫。
信勝は織田家に工作、勝家は内政、林は懐柔。
時間と金があれば那古野城を偵察して織田家の兵力を把握しておきたい。
援軍要請が出来るようになったら、まず犬山城をターゲットに。こちらからは勝家を兵50%で出陣。工作は続ける。
清洲織田家の兵力は兄上様がゴリゴリ削ってくれるので、勝家は敵の逃げ道を塞ぎつつ包囲に参加するだけでOK。
犬山が落ちたら、林を残りの兵力で出陣させて、清洲を勝家と挟撃して落とす。こちらは耐久1000なので自力で落とせる。
次に援軍要請が出来るようになったら、工作は斎藤家に切り替えて40まで上げていく。
そして織田家には長島城を攻撃させる。
(清洲を落とした後に要請しないと、とんでもなく遠回りするので要注意)
大体長野工藤か北畠の援軍が来ることが多いが、その時は退避して兄上様を盾にさせていただく。
落とせるなら落とし、落とせなければ那古野の兵力を削れたと割り切っていく。
そして最後の仕上げに、斎藤には犬山防衛でも依頼して停戦して、織田家との同盟を破棄。
勝家を中心に挟撃を仕掛け、那古野城にとりついて落とす。しかし城主が信長だけあって非常に固いので注意。
筆者の場合は2500程度まで那古野の兵力が減っていたのだが、もし無傷で長島を落としてしまった場合は
大体織田家は本拠地を空っぽにして長野工藤を倒しにいくので、速攻での空き巣作戦を採用する。
仮に長野家の城が落とされたとしても、那古野城を落としてしまえば立場は逆転する。
以降は三国同盟に土下座しつつ、美濃経由で上洛していくという何処かで聞いたような展開になる。
イベント無し織田家プレイのようなものなので以降は割愛。
島津貴久
このシナリオまでは大内が筑前・豊前を持っているために大友が伸びにくい。北肥後こそ大友が取るだろうが、肥前は大内との取り合いとなり、戦力の頭打ちを迎える。大内は大友への防衛援軍はあっても共同攻撃は早々無いため、北上の準備をする余裕が出来るだろう。
貴久本人を初めとして、日新斎・忠将・義久・義弘と一族は優秀。数年後には歳久も元服する。更に新納忠元や樺山善久なども活躍してくれるだろう。また、島津義久と(初期は肝付配下の)禰寝重長は全能力+3で土木名人を習得する。郷中教育+能力主義でこの辺りの武将を育成しよう。
大隅→日向→南肥後までは順当に攻略出来るだろう。そこからは大友との戦いになるため、それを見越しての準備が重要。平佐城と都之城は伸びしろがあるので、転封で自領としておく。また、大隅-日向あたりに3-4箇所ほど築城を行おう。
4州の本城・平佐城・都之城を軍事拠点とし、それ以外は全て商業都市でいい。これで多くの政策を実行出来出来る(創造性が足りない場合は適宜大聖堂を建てよう)。楽市楽座・関所撤廃・南蛮保護・伝馬制で民忠+30出来れば、兵数差をつけられるだろう。
4州占領後、大友を滅ぼすまでは武将のやりくりに少し苦労する。いないものは仕方ないので、投資は諦めて(商業都市に能楽堂を作るなど)特化施設で内政値を上げよう。大友を吸収出来れば立花道雪や甲斐宗雲など一線級の武将が手に入る(大友が龍造寺にとどめをさしていれば尚ラッキー)。また、肥前・筑前は伸びしろのある支城が多いため、統率・武勇が70代の武将を配備し、戦力となる様に準備していこう。
この頃には兵農分離も実施出来て戦力でダントツになっているだろう。武将の成長を楽しみつつ、全国統一を目指そう。
武将プレイ
宇喜多直家
★「おすすめ」ボタン対象武将
後に下剋上によって戦国大名になる宇喜多直家は、岡山・下津井の2城を領する浦上家の中老である。
戦国伝によって自動的に浦上家から独立できる。
”謀反人”二人を与騎としてもらい受けるのが最初の戦国伝だが、発言力を任務だけで貯めるのはかなり大変。
自分の家臣を二人残して全員推挙してしまえば、発言力を手に入れられるうえ、
二人の要求発言力が半額になる。
固有国人衆
国名 | 地名 | 武将名 | 登場年 | 没年 | 備考欄 |
---|---|---|---|---|---|
羽後 | 本堂 | 本堂忠親 | 1521 | 1599 | |
陸中 | 岩崎 | 和賀義勝 | 1522 | 1575 | |
陸前 | 陸前黒川 | 黒川晴氏 | 1538 | 1599 | |
常陸 | 行方 | 愛洲宗通 | 1534 | 1590 | |
北越後 | 水原 | 本庄繁長 | 1551 | 1613 | |
上野 | 山上 | 山上道及 | 1551 | 1605 | |
相模 | 足柄 | 風魔小太郎 | 1547 | 1613 | |
甲斐 | 岩殿 | 小山田信有 | 1534 | 1552 | |
身延 | 穴山信友 | 1521 | 1560 | ||
遠江 | 井伊谷 | 井伊直盛 | 1521 | 1560 | |
尾張 | 黒田 | 前野長康 | 1543 | 1595 | |
越前 | 鰐淵 | 富田景政 | 1540 | 1594 | |
伊賀 | 伊賀 | 百地三太夫 | 1532 | 1591 | |
大和 | 越智 | 越智家増 | 1534 | 1577 | |
柳生 | 柳生石舟斎 | 1542 | 1606 | ||
興福寺 | 宝蔵院胤栄 | 1536 | 1607 | ||
紀伊 | 十ヶ郷 | 土橋重治 | 1541 | 1595 | |
中郷 | 佐武義昌 | 1551 | 1620 | ||
根来 | 津田算長 | 1514 | 1568 | ||
宮郷 | 太田定久 | 1546 | 1590 | ||
筑前 | 鳥栖 | 筑紫惟門 | 1546 | 1567 | |
北肥後 | 菊鹿 | 隈部親永 | 1531 | 1588 | |
菊池 | 菊池義武 | 1520 | 1554 | ||
大隅 | 蒲生 | 蒲生範清 | 1539 | 1574 |
コメント
- 最終更新:2021-12-15 22:20:14