シナリオ:九州征伐
1586年11月 九州征伐
シナリオ概説
豊臣秀吉が関白となり、長宗我部、徳川をも従えた状況から始まるシナリオ。
豊臣政権下の大名は、豊臣家と60ヶ月、近隣の大名と36ヶ月の同盟を結んでいる。
(分裂した毛利両川は三者無期限同盟、真田と徳川は同盟なしなど例外もあり)
その関係で豊臣家が九州に直接攻め込んでいく事は無い。
……が、それは逆に豊臣家が5年間たっぷりと畿内で力を蓄えるという事でもある。
秀長、利休の死亡イベントが起こる頃には同盟期限切れが近い。いよいよ秀吉が暴れはじめる。
また、ほぼ同時期に北条氏直が病死し、徳川・北条の婚姻同盟も消滅するなど、情勢が大きく変わる。
それを見据えてのプレイが必要。
- 龍造寺・秋月は島津に従属している。
- 一方、有馬・城井・松浦は何故か一切の同盟関係が無い。
- 蜂須賀は豊臣以外と同盟が結ばれていない。設定ミスかもしれないが、厳しい難易度になっている。神速、撹乱、足止め持ちが居るのが救い。
開始直後に発生するイベント
- 全武将(徳川家、島津家所属の武将以外):歴史イベント「九州征伐」
- 豊臣家
- 豊臣秀吉:戦国伝(大)「戸次川の戦い」
- 伊達家
- 伊達家所属の武将:歴史イベント「奥州の覇者へ」
- 伊達政宗:戦国伝(大)「摺上原の戦い」
- 真田家
- 真田家所属の武将:歴史イベント「真田一の武者」
- 真田昌幸:戦国伝(武)「信幸と小松姫」
- 徳川家
- 徳川家所属の武将:歴史イベント「鳴くまで待とう」
- 徳川家康:戦国伝(大)「鳴くまで待とう」
- 島津家
- 島津家所属の武将:歴史イベント「それぞれの思い」
- 島津義久:戦国伝(大)「戸次川の戦い」
プレイ武将別解説
大名プレイ
豊臣秀吉
豊臣家プレイの場合、徳川家とは無期限同盟となる。
このシナリオだけで7つの大名録をこなさなければならない。が、一気に達成してしまえる意味では楽。
最後の大名録が発生するのはスタートから10年後で、猶予はわずか1ヶ月。
しかも知らない間に失敗条件を満たしてしまう事も多く、計画的なプレイが必要。
二条城と大坂城の兵力が大きくなるので、強力な部隊をガツンとぶつけやすく、初心者でも戦争は戦い易い。ただし戦国伝をクリアすることが目的なら序盤の時間制限が厳しく、初心者ではちょっと難しいかもしれない。
戦国伝を最後まで行いたいなら寿命を「史実」にしてはじめること。未検証だが姫武将もOFFにしておくことをお勧めする。前者は羽柴秀長が死亡(1591年)せずイベントが進まなくなる。また、小田原征伐も北条氏直が死亡する1591年までにこなさなければならない(死亡すると失敗もしくは発生しない)。序盤はとても忙しい。九州へ、関東へと大遠征を行うので序盤は内政で兵糧をしっかり確保。兵力はしばらくは領民兵頼みとし、街道や城の改修などで人口を、政策で民忠を上げよう。
小田原征伐の最大の敵は実は同盟国の徳川家。徳川家が先に北条を攻めだすとかなりアウト率が高い。
詳しくは後述するが、大雑把な流れを紹介する。
- 1番目の「(大)戸次川の戦い」は、仙石権兵衛と十河存保の部隊は無条件で消滅するため、最小限の兵で出すこと。直後に九州に攻め込む大名録があるので、後続の部隊を付けておこう。
- 2番目の「(大)九州征伐」では、茶器の都合上、秋月家を滅ぼしてから達成したい。隈本城も取っておこう。島津は強敵なので初期兵力で攻めきるのは難しいかもしれないが・・・。
- 3番目の「(大)北野大茶湯」は、ほとんどの場合、同盟を破棄して九州の大友家を滅ぼさないといけない期限は3年あるので、九州に作った軍団の兵力が回復してからかかって良い。島津家も利用できるならぜひ利用しよう。
- 4番目の「(大)小田原征伐」は北条氏直が死亡すると失敗となるため、事実上1591年がリミットと考えるべき (1594年まで生存することもあるので諦める必要はないが速やかにこなそう)。徳川にできるだけを取られない様、速やかに侵攻しよう。予め国境にいくつか部隊を配置しておいてから秀吉を二条城に移動させ、北の大茶湯を完了させるのもよい。また、別に北条と戦争を始めてからイベントを開始させてもよい。兵力に余裕があれば、ついでに佐竹家を滅ぼして帰るといい。また、帰り道で美濃・尾張平定くらいはできるかもしれないが、兵糧的に辛いだろう。美濃・尾張の大名家とはしばらく同盟を継続しておこう。
- ほぼ同時に「(武)鈴鳴り武者」が発生。これは韮山城近くにひょっこり涌いた仙石権兵衛部隊を突撃させるだけでクリア。中級以下ならついでに下田城も1部隊で取れるはずだ。
- 5番目の「(大)利休の死」は、本名プレイだと利休が見付からずに苦労するかもしれないが、どうという事はない。「千宗易」だ。
- 6番目の「(大)秀次事件」は、1593年8月まで気長(という程でも無いが)に待つ。この間に惣無事令でのクリア条件、本城30を満たしておくといいだろう。ただし前田利家を殺さないように。 伊達家が肥大化しているなら、喰うよりは同盟の方が楽なはず。
- 7番目の「(大)醍醐の花見」は1598年3月または1599年3月まで、更に5年も待たなければならない。クリア条件を満たして、そこら中と婚姻または長期同盟を結び速度3でガンガン進めよう。発生条件が非常に厳しい。とにかく前田家が存続しているか、家臣にしておくのは絶対条件(家臣にする時には、攻め滅ぼして帰城したあとに解放して、在野にしてから改めて登用)。
4番目の小田原成敗以降はかなり猶予があるので(もうそれは面倒なくらいに)、まず序盤をハイペースに。後は条件を正しく満たして待てばいい(もちろん発生条件は確定的なものではないので、たまに発生しない場合があるが)。
小田原征伐直後、畿内・九州・関東を制覇した状態なら、そろそろ本城も30近いはず。軍団委任で何もしなくてもクリアは出来る。
伊達・長宗我部・上杉・毛利などとは同盟か婚姻を結んでおこう。後はいくつか小大名を喰い本城を30とし、イベントを進めるだけだ。
周辺国とは60ヶ月同盟の状態だが、宇喜多・吉川あたりは早い段階で同盟を破棄してくることがあるので注意。
詳しい条件は大名録のページを参照。
ここでは中級・寿命史実・姫武将モードありで全達成を目指す上でのポイントを書く。
- 大名は入城→移動による撤退が出来ないので、秀吉は基本的に二条御所で内政させる。
- とにかく条件武将の事故死が一番怖いのでセーブはこまめに。
■ 戸次川の戦い~九州征伐~北野大茶湯
まず浪人登用。主力となる顕如・教如・頼廉・六角父には家宝を惜しげなく与えて忠誠を確保。
本城と、比較的兵力が多い播磨の支城に主力を割り振る(清正・正則・高虎・左近など)。
到着次第、順次秋月領を目指して出陣させていくこと。どうせ後で九州征伐イベントが発生する。初期兵力でも勝てるので問題無い。
近攻遠交策&伝馬制&従属、も忘れずに。ゲームをすすめる中で従属する勢力が後から後からでてくるのでチェックを怠らないこと。
次々と養女が加入してくるので、縁組で忠誠も上げられ外交の婚姻も可能でなかなか美味しい(よって実の娘は片端から武将にしてしまっても良いかもしれない)。ただし原則的に「本城30以上」の惣無事令クリア条件を無理なく満たせる範囲で。東北の大名なら何の問題も無いが、関東は悩み所。近畿は前田家以外は考慮。
あまりに従属させすぎると、本城が足りず、毛利および小早川・吉川や徳川、長宗我部、上杉などとの最終決戦を行うなり従属を破棄するなりする必要がある場合も・・・。
部隊を九州へ、関東へと展開するため、序盤から中盤にかけてはとても米を食う。石高メインの内政を。兵力は人口と民忠の増加で賄うつもりで、街道の整備などを行おう。ただし九州侵攻中にも、教会を建築できる程度には兵舎も上げた方がいい(そうすれば創造もあがる)。
なお小田原城は耐久16000を誇るので、強攻を行わないなら、小田原征伐までに相当に規模の大きな部隊を3つ用意せねばならない。
権兵衛と十河は十河城にいる。
府内に到着すると即イベントで壊滅するので、兵は100で良い。2人が府内に到着するのは最速で翌年3月。
上述の通り、主力も後を付いていこう。
必ず隅本城から落とすこと(先に南の方の城を落とすと失敗)。秀長は特に必須条件ではないので、途中撤退しても大丈夫。
秋月は家宝の為、龍造寺は軍団要員確保の為に滅亡させておく。
隈本攻めは、同時に岩尾を攻めると島津の戦力が分散しやすい。
九州征伐が終わったら即刻大友と手を切って滅ぼし、似たり茄子(と軍団要員)をもらう。
大友攻めは鍋島を軍団長にして任せ、畿内組は順次撤退させていく。不安なら、敵野戦軍を殲滅してから帰るといいだろう。
大友との同盟を破棄すると、大友周辺の豊臣同盟・従属国がいっせいに大友領に侵攻を開始するので、最後持っていかれないように注意 (防衛の援軍依頼が来ることもあり)。
長宗我部・毛利とは争う必要がない(争わなくても本城は30に達する)ので、長期同盟や婚姻をしておくとよい。長宗我部はどうせイベントで上げねばならないため、そのまま婚姻してしまうといい。小早川・吉川は、毛利と同盟さえしておけば脅威ではない。
大茶湯は九州征伐後、好きなタイミングで秀吉を二条城に移動。急ぐ必要は無い。部隊が関東になだれ込んでからでも遅くは無い。ただし、この場合、強力な武将である秀吉を小田原征伐に使えないと言う弱点が残る。
■ 小田原征伐
1年では無理と見ていい。2年前に近畿を発とう。そしてリミットは1591年だ(一月一日と言うわけではなく、多少の余裕はあるだろう)。逆算すると1589年早々には出撃したい。更に逆算すると、2年で九州を平定して、畿内に帰ってこなければならないわけだ。
徳川が勝手に介入してくるケースが結構多い。自力で落とさなければ達成条件とならない。とにかく敵は北条ではなく徳川となる。そして時間も余裕が無い。急いでかかろう。
部隊は北(箕輪城方面)、中部(八王子城方面)の2箇所。もしくは小田原城前強行突破を加えた3箇所に分けて関東平野に突入だ。一箇所からの突入では時間がかかりすぎるし、渋滞もする。
ヘタをするといきなり徳川に小田原を狙われるので侵攻速度は緩めずに(堅いので結構保つが、囲んで強攻すれば時間の問題だ)。
北関東の城に援軍要請を出すなどして徳川の戦力を分散させるのも手。
ただし「出陣」させてしまうので、やぶへびになる事も。
なお、この大遠征は九州大遠征から、きびすを返す形で行うこととなる。このため、兵糧的に非常に厳しい。九州軍団からの輸送、建築を止めてでも毎月の米購入などで賄おう。
兵糧に余裕があれば佐竹などを滅ぼしてから帰ろう。武将や本城などがゲットできる。全力で当たらなくても勝てるので、余分な部隊は撤退しよう。
クリア条件とはあまり関係無いので、上杉と伊達とは長期同盟や婚姻をしておくとよい。
畿内に戻って同盟が切れたら、まずは筒井家を叩くといいだろう。国人衆もついてくる。
■ 利休の死~秀次事件~醍醐の花見
前田利家は豊臣家臣にしてもよいし、1598年まで大名として生き残らせてもよい。(どちらでも戦国伝内のイベントの内容は全く同じ)
姫武将モードはありでもなしでもクリア可。ありの場合はまつ・ねね・茶々の所在に注意(3人ともイベントに登場するため必須)。
※利家を家臣にする場合
「前田利家がまつと夫婦である」という条件を満たした上で、秀吉と利家が二条御所にいればクリアとなる。
利家およびまつが他家との戦いで処断・討死したりしないように、さっさと同盟を破棄して吸収したい。
前田家を滅亡させた時、大名の登用→謹慎(つまりは通常の登用作業)を行ってしまうと
利家がゲーム上から一時退場する為か、まつとの夫婦関係が解かれてしまう。
よって滅亡後に即登用せずに解放し、浪人としてから登用する必要がある。
この時、他勢力に流れたりすると厄介なので、直轄軍団で滅ぼして、安全な畿内に連れ帰って解放する事。
徳川に登用されたりしたら目も当てられない。
利家とまつを無事確保したら後は早送りでOK。
軍団が勝手に勢力を拡大するせいで、気がつけば政策費用が赤字になっていたりすることもあるので注意。
※利家を大名として残す場合
畿内と関東を豊臣家が押さえている関係上、徳川家は間違いなく北上する。
秀次事件から醍醐の花見までの実に5年もの間、前田家を徳川の魔手から護ることは非常に難しい。
特にやる事もないので 徳川との無期限同盟を破棄して滅亡させておくのが無難だろう。
上杉も滅ぼして前田家を囲い込めば盤石。
なお、こちらの場合でも「前田利家がまつと夫婦である」という条件が必要なので注意。
豊臣家と前田家が戦争状態(断絶)になっていると戦国伝が発生しないので注意。
達成条件の「前田家の外交姿勢を信頼にする」は家宝贈呈でクリアできるので
1597年頃から援軍停戦や家宝・官位などで事故を防止しておくと良いだろう。
徳川家康
対北条戦はもとより、その後の関東移封後の立ち回りが重要となるシナリオ。
シナリオ開始直後に近隣で攻略可能なのは真田家のみであるが、真田家を攻撃すると武将録「光の行末」が発生し、達成によって真田と婚姻同盟を結ぶことが出来る。ただ、達成にこだわらず、時間にも余裕があるならば滅ぼして真田一門を配下にしておくのも良い。言うまでもないだろうが、強力な武将を手に入れられる。
最初の戦国伝「鳴くまで待とう」を終えると「小田原征伐」が始まるが、気を付けたいのは達成に必要な条件の一つである北条氏直の生存で、1591年頃に寿命が来てしまう為に実質制限時間は短いという事実。幸いゲーム序盤で北条の兵力も高くはなっていないので開始直後から関東諸大名らと工作して援軍を呼べるようになっていれば割と容易に倒す事が可能で、最初は韮山城と八王子城を狙い、後は八王子城を起点に関東平野に雪崩れ込んで対象の城を落として最後に小田原城陥落で北条を滅ぼしておきたい。
問題なのは次の戦国伝「江戸御打ち入り」。
これによって関東以外の所領は豊臣家所有となって徳川家は関東所有のみとなってしまう状況となり、さらに「小田原征伐」達成時点ではまだ近隣の大名との同盟を維持している事が多く、その為積極的に関東諸大名の城を攻撃してくるのでいち早く里見や佐竹らを滅ぼして豊臣に城を取られないようにしておきたいところ。
「江戸御打ち入り」は三の丸と石垣の設置はすぐに達成できるが、区画数を8にするのは5~6年ぐらいかかる為、豊臣家との戦いに備えて北の伊達や最上を滅ぼし、さらに上杉も倒して所領と人材を確保しておく。とはいえ、豊臣家を積極的に進出してくる為のが難点で、とにかく大名への最後のとどめと本城確保を最低限の目標としないとかなりきつい。
「江戸御打ち入り」達成後は豊臣家との同盟を破棄して一気に攻める事になる。
豊臣の物量と人材は強力であるが、関東・南東北・越後の本城と人材を確保していれば十分に対抗可能で、この時点で秀吉の寿命が迫っているのも優位な要素となる。
主攻はやはり東海道が良いだろう(豊臣がまだ取っていない場合、かなり楽だ)。まずは尾張・美濃に足場を確保したいが、全部隊を東海道へ・・・は渋滞を起こすので愚策。美濃の方への助攻でつり出し、2方向または3方向から攻めよう。
何とか京都までたどり着ければ、ほぼ、本城は30に達して居るはずだ。無理矢理にでも奪い取って勝ち逃げしよう。
武将プレイ
真田信幸
★「おすすめ」ボタン対象武将
侵攻先がこちらしかない徳川にいきなり攻められて滅亡一直線…
かと思いきや、イベントで小松姫との婚姻同盟が成立する。豊臣と上杉は長期同盟、北条以外はやっぱり同盟が結ばれており、最初からクライマックスの真田にしてはまったりとした序盤をすごす。
おまけに北条も当主氏直の格付が低いせいか、軍事行動もそんなに激しくなく、場合によってはこちらが上野の城を奪うことすらある。城代・城主になれるならなっておこう。
ただし数年経過し同盟切れとなり、北条氏直が病死すると周囲は戦乱の世に逆戻りする。
豊臣・徳川・北条・上杉・おそらくは伸びてくる伊達に囲まれ、大名ではないので細かな外交は出来ない。
うまく他の大国の動きを利用し、城主となって提案での同盟を利用して勢力を拡大していこう。
真田の面々はおおむね寿命に余裕があるので、気長にいっても大丈夫。
姫武将モードONの場合、小松がいなくなると同盟が切れるので注意。
成田甲斐
★「おすすめ」ボタン対象武将
序盤は関東の弱小豪族をいびって進むのだが、城代~城主就任くらいで当主の氏直が寿命で死亡する。ただ死亡判定には幅が有るようで、91年を乗り越えると1~2年ほど越えて生きる。
その頃には伸びてくる伊達と婚姻切れの徳川の挟撃をどうするかが難題。
自信がないなら氏直死亡直後に徳川と同盟して伊達一本に絞ること。
史実では滅亡した頃の北条家なので、とにかく人材不足が深刻。他武家の人材は貰えないのもあって、質は勿論のこと数も寿命も足りない。普通なら考えられないほどの弱小武将が部隊を率いることもしばしば(特典武将や寿命、架空武将ONOFFで調整は出来るが)。甲斐姫本人は1630年過ぎまで生きるので寿命の心配はいらないのが救い。
なんとしても敵のとどめはこちらで刺して、人材を確保すること。最悪目標家でなくても構わない。城を有り余った土地に建てれば国力は確保できる。
事実上ラスボスは徳川。序盤で大抵真田を吸収してるので人材の質が半端ではない。豊臣は徳川にすんなり勝てる人なら問題ないはずだし、苦労する人なら時間経過で秀吉が死んで秀頼が当主になっており、格付低下で弱体化するのでやっぱり問題ない。
なお、祖母の赤井輝子は一門扱いにはならない。残念。
島津家久
イベントが起こらないため、1600年を超えて生きることが可能。
家久本人と佐土原城は伸びしろ大きく、周辺国は大体こちらより小さい。特に毛利両川が分離しているのが大きく、援軍を呼ばれることはあっても、共に攻めてくることはない。
このシナリオは同盟のせいで多くの勢力が最初の5年間"動けない"。これは勢力拡大にも影響するが、個々の武将の能力にも多少の影響がある。最序盤から戦争ばかりの家久(と、立花宗茂)を止めれる武将は豊臣には早々いないだろう。
非常に細かい点だが、大友・秋月の家宝を入手することが可能なため、家臣の忠誠を維持しやすい。安国寺恵瓊辺りに使うことになるだろう。
固有国人衆
国名 | 地名 | 武将名 | 登場年 | 没年 | 備考欄 |
---|---|---|---|---|---|
羽後 | 本堂 | 本堂忠親 | 1521 | 1599 | |
陸前 | 陸前黒川 | 黒川晴氏 | 1538 | 1599 | |
北羽前 | 羽前西川 | 林崎甚助 | 1557 | 1621 | |
常陸 | 行方 | 愛洲宗通 | 1534 | 1590 | |
北越後 | 水原 | 本庄繁長 | 1551 | 1613 | この後のシナリオでは上杉家臣 |
上野 | 山上 | 山上道及 | 1551 | 1605 | |
安房 | 朝夷 | 御子神典膳 | 1580 | 1628 | |
相模 | 足柄 | 風魔小太郎 | 1547 | 1613 | |
伊豆 | 伊東 | 伊東一刀斎 | 1575 | 1632 | |
北信濃 | 戸隠 | 出浦盛清 | 1561 | 1623 | |
駿河 | 江尻 | 向井正綱 | 1572 | 1625 | |
美濃 | 揖斐 | 徳山則秀 | 1559 | 1606 | |
越前 | 鰐淵 | 富田景政 | 1540 | 1594 | |
北近江 | 朽木谷 | 朽木元綱 | 1564 | 1632 | |
伊賀 | 伊賀 | 百地三太夫 | 1532 | 1591 | |
大和 | 柳生 | 柳生石舟斎 | 1542 | 1606 | |
興福寺 | 宝蔵院胤栄 | 1536 | 1607 | ||
紀伊 | 十ヶ郷 | 土橋重治 | 1541 | 1595 | |
中郷 | 佐武義昌 | 1551 | 1620 | ||
宮郷 | 太田定久 | 1546 | 1590 | ||
北肥後 | 菊鹿 | 隈部親永 | 1531 | 1588 | |
南肥後 | 大畑 | 丸目長恵 | 1555 | 1629 | |
薩摩 | 東郷 | 東郷重位 | 1576 | 1643 |
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- 最終更新:2021-11-03 23:50:51